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致大清国北洋水师提督丁汝昌

December 1, 2012

《致大清国北洋水师提督丁汝昌》写于甲午海战后,是联合舰队司令官伊东祐亨至北洋水师提督丁汝昌的一封劝降信,信函原文用英文书写,后译成日文上报大本营备案,现馆藏国立公文书馆,现摘录于下:

謹んで一書を丁提督閣下に呈す。事局の変遷は不幸にも僕等と閣下とをして相敵たらしむるに至れり。しかれども、今世の戦争は国と国との戦いなり。一人と一人との反目にあらず。

すなわち僕等と閣下との友情は依然として昔日の温を保てり。閣下、幸いにこの書をもって単に帰降を促すものとなさず、僕等が苦衷の存するところさらに一層深遠なるところにあること信認せられんことを希望す。けだしその国および、その身のためにはかり、一挙両全の長計あるも、局に当たる者は迷い、往々これを目捷に失するがゆえに、傍観者たる僕等において、敢て黙々に付するに忍びず。これ、ここに閣下に勧告して熟考を請わんと欲するゆえんなり。貴国海陸両軍の爾来連戦連敗するや、その近因、もとより一にして足らざるべきも、その真正の原因は自ら他に在るあり。虚心平気をもって観察する者の観るを難しとせざるところ、閣下の英明にして、それ貴国の今日あるに至れるは、もと君臣一、二人の罪にあらず、その従来墨守せる制度の弊、実にこれを致せるなり。人を採るに必ず文芸をもってして、政権を握る者一に文芸の士なること、今日なお千年の昔のごとし。この制度の当時における、必ずしも善美ならざるにあらず。貴国にして果たして世界に孤立独往するを得ば、永くその善美を失わざるべきも、いかんせ

ん、一国の孤立独往は宇内今日の形勢において、また望むべからざるの事たるを。三十年前ヽわが日本帝国がいかに辛酸なる境遇を閲し、いかに危殆なる厄

難を逃れ得たかは、閣下のすでに熟知せらるるところなり。当時、帝国は実に旧制を棄て新制につくをもって、わが存立を完くする唯一の要件としたり。すなはち今日は、貴国もまた、これをもって要件とせざるべからず。貴国いやしくも、これに従えば、すなわち可なり。もし、しからざるときはヽ早晩滅亡を免れざるべし。これ現勢必至の数なり。その厄難は、はしなく今回の戦争により発現したりといえども、その否極の運命のごときは、前定すでに久しというべし。

すでに、この否極の運に際す。臣子のいやしくも邦家のために忠誠を致さんとするもの、いたずらに、とうとうたる頽波(頽廃)に従い、その一身を委して、しかして已むべけんや。炳焉(へいえん)たる広史と広大なる疆域とを有する世界の最旧帝国を革新して、その基礎を永遠に鞏固ならしめんとする。談なんぞ容易なら。いやしくも勢の不可なる、時の不利なるを見んか。一艦隊を敵に与え、全軍をもって降るが如き、これを邦家の興廃にくらぶれば、まことに些々たる小節にして、拘るに足らざるのみ。これにおいて僕等は世界と轟鳴する日本武士の名誉心に誓い、閣下に向かって、しばらくわが国に遊び、もって他日、貴国中興の運、真に閣下の勤労を要するの時節到来するを待たれんことを願うに切なり。閣下それ友人誠実の一言を聴納せよ。

貴国、往昔の歴史において、小節を棄て小恥を忍び、ついに大功を成したるの例少なからざるは、もとより言をまたず。かの仏国の大将マクマホンの如きは、ひとたび降って敵国にあり、時期を待ちて帰り本国政府の改革を助け、しかしてフランス、かえってこれに恥辱を加えざるのみならず、したがってこれを大統領に推選せるにあらずや。また、かの土国のオスマンパシャの如lくプレウナの一敗、城陥り、身捕わるるも、一朝、国に帰るや陸軍大臣の要地に立ち、軍制改革の偉功を奏するを妨げざりしにあらずや。

閣下にして、果たしてわが国にきたらば、ぞの待遇の如きは僕等誓ってわが天皇陛下の大度を担保すべし。陛下は、かつてその臣民の叛旗を掲げたる者を赦免し給えるのみならず、榎本海軍中将の如き、大鳥枢密顧問官の如き、各々その材能に応じ、挙げて顕要の地に登らさる。この類はなはだ多し。

これ壹要するに、今日閣下の決断せらるべき最大条件は、貴国の頑然として株守する旧制の弊を受け、みすみす大厄に陥るに任せ、これと運命をともにすべきか、また余力を蓄えて他日の計をなすべきかの二途にあり。閣下、請う、慎思熟慮してこれを選べ。従来、貴国武弁の敵将の書院を接する、おおむね大言壮語をもってこれに酬い、みだりにその強をてらい、もしくはその弱をおおわんとす。しかれども閣下の賢明なる必ずその所為にならわざる、僕等が信ずるところなり。いま僕等がこの書を致すや、実に友誼の至誠より発し、決して草々にせず。閣下請うこれを諒せよ。

閣下幸いにこの書中に披瀝する鄙衷を採酌せんか。これを実行するの方法の如きは、閣下の允許を得てさらに具陳するところあるべし

仅呈一书致丁汝昌提督阁下。时局之变,仆与阁下从事于疆场,抑何其不幸之甚耶?然今日之事,国事也,非私仇也,则仆与阁下友谊之温,今犹如昨。仆之此书,岂徒为劝降清国提督而作者哉?大凡天下事,当局者迷,旁观者审。今有人焉,于其进退之间,虽有国计身家两全之策,而为目前公私诸务所蔽,惑于所见,则友人安得不以忠言直告,以发其三思乎?仆之渎告阁下者,亦惟出于友谊,一片至诚,冀阁下三思。

清国海陆二军,连战连北之因,苟使虚心平气以查之,不难立睹其致败之由,以阁下之英明,固已知之审矣。至清国而有今日之败者,固非君相一己之罪,盖其墨守常经,不通变之所由致也。夫取士必以考试,考试必由文艺,于是乎执政之大臣,当道之达宪,必由文艺以相升擢。文艺乃为显荣之梯阶耳,岂足济夫实效?当今之时,犹如古昔,虽亦非不美,然使清国果能独立孤往,无复能行于今日乎?

前三十载,我日本之国事,遭若何等之辛酸,厥能免于垂危者,度阁下之所深悉也。当此之时,我国实以急去旧治,因时制宜,更张新政,以为国可存立之一大要图。今贵国亦不可不以去旧谋新为当务之急,亟从更张,苟其遵之,则国可相安;不然,岂能免于败亡之数乎?

与我日本相战,其必至于败之局,殆不待龟卜而已定之久矣。既际此国运穷迫之时,臣子之为家邦致诚者,岂可徒向滔滔颓波委以一身,而即足云报国也耶?以上下数千年,纵横几万里,史册疆域,炳然庞然,宇内最旧之国,使其中兴隆治,皇图永安,抑亦何难?

夫大厦之将倾,固非一木所能支。苟见势不可为,时不云利,即以全军船舰权降与敌,而以国家兴废之端观之,诚以些些小节,何足挂怀?仆于是乎指誓天日,敢请阁下暂游日本。切原阁下蓄余力,以待他日贵国中兴之候,宣劳政绩,以报国恩。阁下幸垂听纳焉。

贵国史册所载,雪会稽之耻以成大志之例甚多,固不待言。法国前总统末古末哑恒曾降敌国,以待时机;厥后归助本国政府,更革前政,而法国未尝加以丑辱,且仍推为总统。土耳其之哑司末恒拔香,夫加那利一败,城陷而身为囚虏。一朝归国,即跻大司马之高位,以成改革军制之伟勋,迄未闻有挠其大谋者也。阁下苟来日本,仆能保我天皇陛下大度优容。盖我陛下于其臣民之谋逆者,岂仅赦免其罪而已哉?如榎本海军中将,大鸟枢密顾问等,量其才艺,授职封官,类例殊众。今者,非其本国之臣民,而显有威名赫赫之人,其优待之隆,自必更胜数倍耳。第今日阁下之所宜决者,厥有二端:任夫贵国依然不悟,墨守常经,以跻于至否之极,而同归于尽乎?亦或蓄留余力,以为他日之计乎?

从来贵国军人与敌军往返书翰,大都以壮语豪言,互相酬答,或炫其强或蔽其弱,以为能事。仆之斯书,洵发于友谊之至诚,决非草草,请阁下垂察焉。倘幸容纳鄙衷,则待复书赉临。于实行方法,再为详陈。

                                                                 谨布上文

明治二十八年一月二十日

伯爵 大山 巌 頓首

伊東祐亨 頓首

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From → 歷史

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